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立教176年秋季大祭(10月24日)神殿講和 世話人・中山慶純先生
平成25年10月24日(木)
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ただいまは当教会の秋の御大祭を厳かに陽気におつとめ頂き誠に御同慶に存ずる次第でございます。参拝させて頂きました機会に、一言お話をさせて頂きたいと存じますので、お付き合いの程よろしくお願いします。
祭文にもございましたが、諭達第三号を御発布頂いて丸一年が経過します。この年祭に向かって、お道全体が勢いよく進まさせて頂かねばなりません。する人がしたら宜しい。私は別にと思ってる人がいたら、これは大失敗です。この年祭は本部がやるから我々もやろう。こうじゃないですよね。神様は、人間みんなをたすけたいわけです。その為に、時々喝を入れて下さいます。それが身上事情です。そんな方向へ行ったら危ないんだから、こっちにおいでと教えて下さる。これが身上事情です。昔の事を考えて頂くと、皆様方は本当に御守護頂かれて結構やなと思う。だから、ついうかっとしますよね。山坂通り過ぎた、いばら道も通り過ぎたんですよ。そして、なんとなく細道へ出てやっとやれやれですよね。こういう状態の人がかなりある。細道でウロウロしてるから、休憩もするし、前にも行かんし、団子があったら買うでしょ?のんびり進むから、神様が十年に一回ぐらいしゃんとしよなと仰せられる。これが年祭です。
諭達につきましては講習会がありましたから、よくご存じやと思います。諭達は皆さん方は、最初から読んできたでしょ。私は後ろからいくんですよ。諭達の後ろから読んでごらん。面白いんだから。なんでこの諭達を出すかっていうと、真柱様はおっしゃるんですよ。この年祭に向けて教祖の道具衆たるようぼくお互いが使命を自覚して邁進して、最後の最後は御存命の教祖にお喜び頂きたい、こう結んでおられますよね。だから、そうか年祭というのは、発端は教祖は二十五年の定命をお縮めになって、たすけを急がれた。だから、えらい申し訳ないこっちゃったな、ありがたかったな。この中にはね、前生教祖の傍にいらっしゃったという方が何人かあると思いますね。そうゆう魂の人がここに寄ってると思うんですよ。だから、そうかあの時、教祖は定命を二十五年縮められたか。今度はその教祖に御恩返しさせて頂こうと、これがこの道の大事なとこであり、これがまた助かる方法の一つですよね。そう考えていくと、後ろから読むと分かりやすい。教祖に喜んで頂く。その前には、ようぼくの使命をしっかり自覚してや。そして自覚をしたら、自覚だけしてもダメなんだよ。つとめに邁進だから、実行せにゃいかんよ、こうおっしゃるんですね。その実行はどうしたらいいんかなと、いう風に思うでしょ?すると、その前に書いてある。世の人々、元の親を知って、一列兄弟の真実に目覚めて互いに睦み合い、たすけ合い神人和楽の陽気世界の実現を目指して、たゆむことなく世界のふしんを進めよう。こうあるわけですね。これを見て、「一列兄弟」とあるけれど、一列をとったら兄弟ですよね。肉親の兄弟ありますよね。まぁ一人っ子もあるけども、仲のいい兄弟、家庭がありますよね。そうかと思えばこちらでいがみ合っている、喧嘩している兄弟がいる。そして両者の結果をみると神様はどっちに働いておられるか。明らかに仲のいいとこですね。大変な病気したらお見舞いに行って本当に兄弟というか肉親ですよね。助かってもらいたい、一手一つになって兄弟が励ましあっていますよね。と思えば知らん顔ってとこもある。一生懸命のところは両者共、兄弟共に運命が伸びてる、どんどん良くなってる。世間ではどうですか、亀田兄弟がいますよね。ボクシングの。あの兄弟ね、乱暴やけど仲いいでしょ?あの家庭覗いたら非常にほのぼのしていると思うね。だから、兄弟伸びてますよね。親神様はどれだけ仲良くするか、親の目の付け所を我々気にしますでしょ?すると神様は助けようと引っぱって下さるのは、兄弟どんだけ仲良くしているか。ここに出てくる睦み合っているかどうかってことと、困った時に助け合っているかどうか、ここにポイントを置いておられる気がしたね。皆様方にもおられるでしょ?おじいちゃんの兄弟、お父さんの兄弟、母親の家庭の兄弟、それぞれずっと見ていく、そして信者さん方を見ていくんですが、兄弟仲良くやっている所は、大体伸びてるね。反対に喧嘩して、お互いにけなし合っている、あるいは妬みあうね。片っぽがぐーんと伸びたら僻むんですよ。どうしてもギクシャクしてくるから、それをほっといたら、やっぱり潰れていくよね。だから肉親の兄弟でも神様はジッと見ておられる。ましてや一列兄弟でしょ。親神様はね、自分の兄弟だけじゃない、隣に困ってる人いたら親身になってあの人の為にお世話させて頂こう。これが助け合っている姿ですよね。それが親が一番望まれる「においがけ・おたすけ」です。親の思いを知らないで路頭に迷うとか、私の運命どうなってるんだと、毎日泣いて暮らす人がいらっしゃる。その方々に泣かなくていいんだよ。苦労する、悩み苦しむ元があるから、これを教えてあげようね。人間を造った神様が、人間の考え方や生き方、夫婦の在り方、子供の育て方をちゃんと教えておられるから、これをお伝えさせて頂くのですよ。この「においがけ・おたすけ」の声を神様が聞かれたら、えらいなあ、お前は常識では世間では赤の他人だけども、ほっとけない、助かってもらいたいという思いで「においがけ・おたすけ」に行くんだ。その心受け取るよ。これが助かるんでしょ。人助けてとおっしゃるけども、兄弟として、一列はみな兄弟だ。その兄弟が助け合っている姿を見ておられるのですよ。私も孫が喧嘩しはじめる、心が痛いんですよ。神様は、喧嘩している、いがみ合っている、こき下ろしている、相手を苦しめている。こういうことしたら、どれだけガッカリされていることだろうと、これはもう明らかですよね。
この年祭っていうのは、諭達は表から読んだら「たすけ」が多いでしょ。これは今回に限ったことではないんですよ。教祖の教えは、「たすけ」ねばならん。こうやって声高々に必ずおっしゃる。特に今回は多いんですよ。人見てたらね、あの人助かり上手やな。という人と、助かるのが下手だな。という人がいらっしゃいますよね。このへんのところをじーっと見たらいい。今、年祭に向かうこの旬は、教祖は全部助かる事おっしゃってるんだよ。だけどもっと具体的にたすかる方法がもっとあるんじゃないか、あるいはもっと細かく日常生活でどういう返答・応答をしたらいいんだろうか。この相手とのお付き合いの仕方、言葉の出し方、人の声の聴き方、ああいう風に受け取ったら助かるんだ。あの受け取め方が良くないんだな、こういう事が出てくると思うんです。それを教祖の「ひながた」の中だっていっぱい出てくるし、日常生活で結構になっていく人姿を見たら、よく分かります。これが明らかに出てくるのが修養科なんですよ。今は五百人そこそこですが、この五百人の生き様を見ると、成程ああ生きてきたらこうなった。あの人は心をこう変えて、こう変わってきた。それが分かって来ますよね。皆さんも一緒だと思う。近所の人、自分もそう。自分も昔に比べてどうだなって色々勉強して下さってると思うけど、それでもまだ十分じゃないと思う。私は今日は助かるということを中心に考えてみたいと思うんですね。
年祭っていうのはね「帰る旬」。年祭は教祖に帰る。自分の今までの生活、考え方、信仰、これをもう一度教祖に帰ろう、もうひとつ帰るっていうのはね、発音が変わるけど「変える」。教祖に帰り、そして今までの生き方や考え方、通り方を変えてみよう。こういう旬ですよね。だから、私は何をどう変えるかなというヒントが必要になる。これを全ようぼくは今持たねばならんと思うのです。教祖の教え、助ける方法、つとめ、さづけ、においがけ、おたすけ、ひのきしん、たんのう、次々と出てくる。これを素直に今まで以上に頑張ってみよう。月次祭は今まで年に何回だったかな、八回だったら今度は九回だ。おぢばがえりは何回だったかな、教えに添って素直に変えてみよう。この添わして頂くために変えようという努力ですね。親に帰る。親に帰るってことは、教えに合すということでしょ。今まで色々教えてもらったけど、それに合っている部分と合っていない部分がある。自分なりに解釈を変えたり、都合よく扱ってる場合がありますよね。それをもう一度素直にスッと合わしてみよう。これがまず一つだと思うんですね。
それからたすかるヒントですね。諭達に出てくるのは、これはみんな旬の声でしょ。親の思い、これは旬の声で神の声と受け取っていくのね。そうすると助けというのは心配りだよ。おたすけは周囲に心を配ることから始まる。と、こうあるんだから。心配りを私はどう考えてるか。昔より今の方が、心配りは出来ているだろうかと考えます。例えば、電車に乗っていてお婆ちゃんが来られたら、「チェッ」って嫌々席を立ったんですよね。この人はこれを直さないといけませんよね。そういう事を私はしてはいないだろうか。これをもっとよく考えるんですね。これを考える時だろうと思うんですよ。それから、感謝の心ね。その感謝の心っていうのはね。分かりやすいのは魚ですよね。魚を食べる時に「美味しいよ」って、一言声をかけるんだよ。これは教祖の教えでしょ。だから皆さんもご飯食べながらおいしいな。と言いますよね。その時に漠然と、「今日は美味しいな。お前料理の腕上げたな」。こういう感謝のお礼だけじゃダメですよね。魚にもお礼、野菜にもお礼、果物や色々な物にお礼を言いますよね。「ありがとう。ありがとう」って。これで魚が出世するということは人間も一緒でしょ。夫婦の中が悪い。そしてお互いに喜びの声がない家は運命がドンドン落ちてますよね。相手に対してありがとうと言う。ご主人の稼ぎが悪かったとしても、ありがとうね。あんたのおかげだよ。この感謝の心、お礼の言葉が出たら、相手はこれで出世するわけですよ。助かる方向へ一歩進むんだと考えたらいい。だから、たとえこの人は本当ならばお礼を言う価値はないと、常識で考える人がある。常識で考えたら、お礼の言葉は出ないんだ。だけど教えの理からいくと、この人を助けねばならない。助ける方法で一番簡単なのが、お礼を言うことですよ。魚は黙ってても、それでスッと出世する。人も一緒。お礼の言葉で元気になるんだ。こう考えたら、お礼の言葉は大事だな。おたすけするってことは感謝の言葉。お礼の言葉をポンって言うだけでいいんだなっていうことがわかる。
以前に、修養科でお墓地のひのきしんがあった。そのつとめた方が感話大会でこんな話をしたんですよ。
「私はお墓地のひのきしんにあたったのです。出来たら交通整理がよかったのです。それはいろんな人が来て挨拶はできるし、人とふれ合いができる。お墓地へ行ったら、出直した人とのふれ合いだ。それでがっかりしたのです」。それは若い子だったね。それで嫌々やっているわけですよ。四人しかあたらない。お墓地は広いでしょ。暑かったね今年の夏は。どんどん蚊が飛んでくるわ、スズメバチまで追っかけてくる。えらいひのきしんに当たったもんだって、不足たらたらでやってたそうです。そんな時、あるお年寄りがお墓地へ参拝に来た。その人が一言、「あんたご苦労さんねえ。教祖が呼ばれたんだよ。このお墓地はね、誰でもひのきしんができるわけじゃないんだ。あなたに教祖が目をつけられて引っ張ってもらったんだ。だから勇んでやって下さいよ。頑張って下さいよ」。と話して下さった。この一声で気持ちがごろっと変わった。そうか私は教祖から選ばれたんだ。ここのひきしん頼むよと言われたんだ。こう心を持ち替えて勇んで通ることができたそうです。もし、その方が来ないで、最後の最後までひのきしんをお墓地ばっかりやってて、これは長期と言いましてね。二月間はそこへ詰めるんですね。遠いところまで歩くんですね。ご飯を食べに食堂まで行き、午後からもまた歩いて行く。スズメバチから何から大変だ。葉っぱがいっぱい落ちてきたら四人で片づける。その不足の心がその一声でコロッと変わった。声というのは「肥」だと聞きますよね。だから、助けるっていうのはね、そのお婆さんが参拝に来て一声かけたから、この修養科生は助かった。もしあの声がなかったら、修了していったけど、不足たらたらで修養科なんて行くもんじゃないよ。えらいとこでひのきしんさせられるよ。こういう声が出たと思う。それをコロッと変えたよね。その本人が助かったし、国元へ帰った時に不足の声を出すか、喜びの声を出すか。大きな助けの上では違いが出てくるね。そのお婆さんの一声は、単にこの人を助けただけではなくて、お国にいらっしゃる、目には見えない多くの方々のお助けにつながったんだなあって感謝しますよね。我々は、ポンと平気で言葉を声を掛けてしまうけど、中には不足をする人が必ずいるし、喜んでくれる人もある。
ある家庭で奥さんが晩御飯の支度をするよね。まだ子供は三、四歳。小さかった。その子供にご飯の準備が出来上がったから、裏に畑があってね、おじいちゃんが畑仕事している。奥さんは、火を使っているでしょ。もうじきご飯が出来るわけですよ。だから子供に頼みました。「おじいちゃん呼んできて。もう間もなくご飯が出来ますよ。もう六時になりますよ。こう言ってきてね。」こうやってお願いした。そうすると畑へ行って「もうろくじ」こう言ったんですよ。お爺さんはびっくりしたね。孫の言葉が「もうろくジジイ」って聞こえたそうです。無茶言うなと思ってね。それで、こんな子供がそんな事言うわけないわけよ。どうせ息子夫婦がしょっちゅうこんな会話をしているんだろうと思って、余計気をまわしてカチンと来るよね。晩御飯に帰ってきたときにお嫁さんに聞いた。この孫がこんな事言ってきてな、お前たちは何か腹が立っているのか?と聞いた。すると、お嫁さんがそんなことを申しましたか申し訳ございません。私はご飯が出来たよ。もう六時になりますから、お爺さんにお帰りになってはいかがですかと、言ったんです。一番最後にもう六時だよと言ってしまったから「もうろくじ」「もうろくじじい」に聞こえてしまったのですね。悪いことを言ってすいませんでした。これを聞いて納得しますよね。これはね、人間の声というのは腹が立つことを言われた時はなんかあると、つい勘ぐるわけですよね。人は助かる癖がある人と、助かるのが下手な人がいます。この違いはね、助かるのが下手な人は相手が言った言葉を全部悪く受け止めるんだね。このお爺さん、最初はそうだったでしょ。「この若夫婦、わしのことを」これが普通だと思うんだけど、助かり上手な人は「子供の事だからなんか他に言いたいんだけど抜けたんだろう。」と悟る。「おさしづ」がそうでしょ。「おさしづ」というのは、本席様が「さあく」とおっしゃる。書き手が筆を執りますよね。ところが全部聞き取れないよね。テープみたいなのがないんだから。一生懸命書くけど、書き洩らしがある。だから、お言葉が繋がっている様だけど、空白が必ず空いているわけですよ。これを補って読んだらおさしづはわりに読みやすい。だから、状況判断してここはこういう文字を入ってたのを抜かしたな。だから理解出来て納得するわけでしょ。これと同じなんですよ。日常生活で私の悪口を言う人がいたら、待てよ。私が悪口に聞こえるだけかもしれない。親神様はそうはおっしゃってないんだろうなと補うわけですよ。助かるためには補って、受け止めて、解釈を続けていけば、腹立ちや恨みや、親神様のなさることを間違って受け取る人がいるだろう。親心をよく受け止めてごらん。そういうことが無くなると思うのね。これも訓練ですよ。助かる方向へのコツを毎日毎日、磨いていかんないかんね。技を付けていく。これが大事なこと。私もどっちかというと、「もうろくじじい」と言われる可能性があるわけ。常にいろんなこと言われたり起こってきても「待てよ」とこの例を思い出したらいい。そして正しい解釈を見つけて頂きたいですよね。
そして声ですね。これは助かる方法の三つ目に入るんだけども、声が肥しになる。怖いのは肥が劇薬になる場合があるね。この一声で相手がしゅんとしてしまうでしょ。これの声のかけ方は間違いです。肥しを間違えると傷つけてしまう。もう少し薄めてあげたらいいんだね。だから声っていうのは、しっかりと相手をよく見て出して頂きたいと思いますよね。
それから、もう一つは心が澄んでくるということ。助かる、助からんの差はどこにあるか。それは心の汚れを取れるかどうかですね。理の親のお話。色々お仕込みが出てきたときに、どう受け止められるかですよね。心が澄んでる時はスッと入るんですが、濁りが入っている時は、それを受け付けないね。あるいは入っているようだけども、半分にしてみたりね。憎しみや恨みが一緒に入ってくるんだね。こういうことをするから助かりが遅くなるんですね。助かりが遅れて行くってことは心の汚れ。だから助からない時は、どれが私に該当しているのか一応、全部当てはめてみたらいいと思います。同じ話が何回出てきても、それは上手に聞くといい。何べんも言うとこ見たら大切なんだろうとかね。そう受け取って頂ければいいわけです。
「においがけ・おたすけ」に関しましては、同じように布教の家に若者がドンドン行ってますよね。行ってるんだけど、個人差があるね。福岡寮に僕が知っている人がいるのですが、毎月のように「においがけ」をして、おぢばに連れて帰るんですよ。今月も連れて帰ったか。今度は修養科にも入れたのか。なんせ凄いんだから。あんまりよくやるからね。他の人も福岡っていうのはね、なかなか頑張っているんだけど、特に凄いから一回聞いてみたね。「あんたは、においがけ・おたすけするけども、何かコツがあるんか?」と。すると「別に変わったことはしていません。一つ気を付けているのは、別席連れて行ってやろう。この信仰を押し付けてでも、ごり押しで何とかしてやろう。そうは思わないんです。この人には悩みがある、苦しみがある、だからこんな顔しているし、あっちが痛いこっちが痛いといろんな事情身上を抱えている。この痛そうな顔苦しい顔の原因となるトゲがあるわけでしょ。このトゲをちょっとでも抜いてあげよう。これだけなんですよ。そして、トゲが少し抜けてくると痛みが和らいで、表情が変わるはずです。だから、私はにおいがけ・おたすけ行っても、笑顔が出るようにするにはどうしたらいいか。これだけでやっているんです」という話。楽しく愉快に、心を明るくね。軽い気持ちになってもらえるように常に考えて、話をするっていうより、聞いてあげているんだね。ほとんどこれがコツですよ。これをモットーにやっているそうです。これだけなんですよ。成程ポイントがあると思う。それはね、陽気ぐらしですよね。神様は苦しめようとされてないね。身上事情の種類は物凄くあるけども、元は原因となるもの、この心遣いがなんかあるわけですよね。その心遣いが自分を圧迫して、腹を立てたり、恨んだりでしょ。その、腹を立てたり恨んだりをほどいてニコニコさせればいいわけです。トゲでも、一週間ぐらいすれば抜けてるね。いつの間にかということは、自然にグッグッと押してくれているものがあるんだろうと思う。そのトゲを押し出すように、気持ちを持って行ってもらえるように話をしたらそれでよろしい、ということが分かった。常に相手のおたすけですから、原因の急所をついて、あなたは親孝行が足りないよ。心が冷たいね。温かい心に変えようね。これはもう急所だよね。急所をドンドン突いていって相手がピッと感じてくれて、成程納得というふうになればたすけは早いんですね。けれども、知らない人に対してのにおいがけは、彼のようにやっていくといいんだなということが分かりますよね。これはなにもにおいがけだけじゃないね。家庭でも一緒でしょ。我が家は今、曇り空。うっかりすると雨になる。だから雨になり、嵐になる前に晴らさないかんね。天気を晴れにかえにゃいかん。その為にどういう手を使うか。私は、用木一人が家庭に入ってたら、その方の心次第、さじ加減一つ。しっかりと我が家を暖かく晴れ渡ったすばらしい円満な家庭に切り替えさして頂こう。この勉強をさせて頂く。この方法を教会へお尋ねさして頂く。どうしても分からなかったら、会長さんや奥さんにお尋ねして切り替えして頂く。これが我々おたすけ人の御用ですよね。年祭に向かって、みんな一生懸命進んでる。この進むんだけども、助かる為のすべを教える。助かる為にはこう行こうね。前に運命の落ちる話をしましたよね。このままいったら運命が落ちてしまうよ。恩が重なってしまっていますね。徳が擦り切れてますね。そしてほこりの心。心遣いがほこりが混じって汚いですね。そして、日々陽気な生き方、陽気ぐらしに向かっている、そういう生き方、親の教えに沿ったような日々が歩めてませんね。これが運命落とすでしょ。こういう風に運命が落ちていくのと、助かっていくのとの違いはここにあるわけですよね。こうしていろいろとこれから通られねばなりませんが、多くの人を助けていかねばいかん。自分が助かるんだけども、前に言ったように隣の人も助かってもらわないかん。こういう旬ですよね。ですから、しっかりと通らして頂く。この年祭の旬の先達は、あなたにお会いして、何かお話をさせて頂くと元気をもらいました。これが大事だね。この教会をお参りさせて頂くと、帰る時にはなんか元気をもらって勇んで、一生懸命主人に仕えて行こう、親を大事にしよう、子供を立派に育てようという、ヒントをもらったな。元気が出たな。こういう人になり、そういう教会になっていかなくてはなりませんね。この年祭の旬というのは、特にその辺に力を入れる事が大切です。すると、年祭を目指して日々は階段を上っていきますよね、近づいていくにしたがって、やっぱり疲れていくし、こっちも息も上がってくる。そんな時、年祭の年にはこういう心、こういう姿のイメージを浮かべる。我が家はこうなってるだろうな。そういうイメージを夢をしっかり描いて、そこへ向かって着実な一歩一歩を踏んでいく。教会ってところは、信者さん方に悩み苦しむ方々の今の助けするだけじゃないね。十年後、二十年後子供の代にはすごい時が来るよ。大きな理想、夢に向かって今苦しいだろうけど、ここを通りきろうね。トンネルを一生懸命通って、抜けるとこまで頑張るんだ。この教えは、教祖のご在世時代トンネルは長かった、それが一気に伸びてきますよね。必ずそういうときが来ると思う。それは、お道全体がそうだし、一つ一つの教会もそうだし、一軒一軒の家庭もがそうでなくてはならんわけですね。そうした理想へ向かってですね、どう歩むか。明日の運命の為に今日歩むんですよ。今日の一日は明日の運命を決定づけていくわけですね。いかに今日の歩みが大事であるかといことですね。こうおっしゃってると思うんですね。よくね、まだやんのかぁと溜息を出します。溜息は命を削る鉋の音だよ。溜息をついてそうやって命を削って、寿命が減っていくんだね。こういう「おさしづ」がある、
「精神一つの理によつて、一人万人に向かう。神は心に乗りて働く。心さえしつかりすれば、神が自由自在に心に乗りて働く程に。」
   (明治三十一年十月二日)
神様は心に乗って働くわけでしょ?まずは、動く前に心が先に働くんですね。どうしようかな、やめとこうかな。心が一回動いただけだね。動いたけども結局、行動で止めて消したよね。これがダメなんですよ。心に乗りて働くけども、心が実際に行動となって、動いている姿ですね。これをセットだと思うんですよ。心に乗って働くから、心ができたらいいんだなと思ってしまう。とんでもないね。心が出来たということは、それに見合う行動がちゃんと伴ったんだな。それを見て神は働くよ。こう考えた方がいいと思う。ところが、どうしても動けない人あるよね。心の出し方は鉛筆一本だね。遠方にいる信者さんに対してひとこと手紙を書いて出しますよね。頑張ろうね。助かる方法をちゃんと書いて渡す。電話一本、メール一本、これでお助けしますよね。心というのは、どういうことをしなきゃならんっていうんじゃない。私なんかダメですっていう人あるけど、それは違うよね。
先日新聞にこういう見出しが出た。炭でいなきゃダメだよ。どういうことかっていうとね。五年間優勝がないスランプに陥ってたね。それでもう優勝はできないな。辞めようと思ったときに、大先輩が教えてくれた。灰になったら終わりだよ。どんなにつらくても、スランプでも、炭でいなさいよ。炭でいたら、いつか火になる。燃える時があるんだよ。灰になったらおしまいだ。これは腐りきって、もう何をやってもダメだ、それが灰の姿でしょ。いや、そんなことはない、私は旬が来たら必ず巻き返す。一生懸命やらせて頂こう。これが炭なんですよ。だから辛いな。教会もこうだし、家もこんなんだし、辛いなと思う時があると思う。だけど、待てよ。私はこのままいったら灰になってしまう。しっかり炭のままでいよう。こう思って頂きたい。皆さんもいい炭でいて、燃える時に火がつかなきゃいかん。点火の時期がやってきているんだね。そういうことを良くお考え頂きまして、今年一年を振り返って、反省するところは、反省して、二年目突入してくんだ。しっかりと心を作って、前進して頂きたい。年祭はあなたが助かるときであり、隣を人を助ける時だよ。これをしっかり忘れないでお通り頂きたいとお願いいたしまして、今日の話は終わらさせて頂きます。ご清聴ありがとうございました。



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